André Saraiva
アンドレ・サライヴァが、一足の靴を中心に据えた短編映画で映画界に初めて踏み出そうと決めたとき、J.M. Westonとそのアーティスティック・ディレクターであるミシェル・ペリーとの再会は、必然とも言えるものでした。
アンドレは1971年、スウェーデンに生まれ、その後パリとリスボンで幼少期を過ごしました。そして物心ついたころにはすでに街の壁を自分のキャンバスに変えていきます。
彼はこう語っています:「ストリートは僕のスタジオになった。グラフィティは、都市に従属するのではなく都市を自分のものにするための手段なんだ。」
グラフィティは彼にとって、誰のものでもあり、誰のものでもない。壁の一部でありながら、街を行き交う人々の意識にも属しているのです。
異なる世界への関心と、それらを結びつける力を持つ彼は、これまでに多くの国際的なプロジェクトに参加・協業してきました。さらに、若手アーティストの出版や作品発信にも積極的に取り組んでいます。
現在、アンドレはパリとニューヨークを拠点に活動しています。
ANDRE SARAIVA
「アメリカでは80年代、エアジョーダンを盗まれたけど、フランスではJ.M. WESTONを盗まれたんだよ。」――そう語るアンドレは、自身の10代の記憶から着想を得て、映画制作に挑みました。
彼は、J.M. WESTONの世界観を象徴するアイテムを軸に物語を構築し、このパリの老舗メゾンを自分の想像の世界に招き入れるというアプローチを選んだのです。
この作品にJ.M. WESTONがパートナーとしてふさわしかったのは、映画の中で描かれるストーリーが、ブランドの歴史のハイライト――たとえば、1970年代の若者による反体制的なムーブメントが、父親の伝統的なモカシンに新たな意味を与えたことや、1980年代の美意識にあふれた若者たちが、靴を特別なアイコンのように捉えていたこと――と深く重なるからです。
脚本は、私たちをとりまく象徴やステレオタイプをやさしく風刺しながら、上品さの仮面をかぶったブルジョワ階級と、実はそれほど悪くない反骨精神をもつロッカーたちとの間にある、社会的・文化的な摩擦を描いています。
物語の背景には、美しい女の子たちと、ローファーを履いたパリジャンたちが彩りを添えています。

10 February, 2012
― この映画の着想はどのように生まれたのですか?
最初にJ.M. WESTONと関わったのは、彼らのために一足の靴をデザインしたときでした。
そのときの手応えが良くて、次に自分の中に映画のアイデアが湧いてきたんです。それは、自分が20歳前後だった頃の体験をもとにしたもので、時代でいうと1980年代の終わりから1990年代初頭にかけてですね。
だから、映像の美学的アプローチは、自分の青春期の感覚と深く結びついています。J.M. WESTONの靴は、当時からずっとアイコニックな存在でした。あの頃すでに、それは不良たちにとっても、裕福な中流階級の若者たちにとっても、"富の象徴"だったんです。
そうしてブランドは、物語の登場人物のひとつのような存在になっていきました。ストーリーは「靴を盗まれる」というテーマを軸に構築されていったんです。まあ、今ではあまり見かけなくなった出来事かもしれませんが……(笑)
― 1980年代後半の美学的アプローチとおっしゃっていますが、登場人物のルック(男の子はオールバックにレザー、女の子はショートキルトに白ソックス)は、それよりもっと古い時代のようにも見えますね?
そうですね、1950〜60年代を思わせるスタイルにも見えると思います。でも、あのファッションは80年代にも確かに存在していたし、今もなお、カレッジ風やプレッピースタイルとして残っています。
今回は、より広い意味でレトロな要素を取り入れました。この“きちんとした感じ”のルックって、中流階級の男の子たちだけじゃなくて、ちゃんとした格好をしたいと思っていたストリートの不良たちにも人気だったんです。
いわば、おしゃれに気を遣うストリート系の若者が、「一目置かれたい」気持ちで選んだ服装でもありました。その両者のスタイルが重なり合うような文化的交差点があったんです。
― このテーマに関して、アメリカ人が抱いているパリのイメージやステレオタイプを、あなたがあえて遊んでいるような印象を受けました。
まさにその通りです。この映画全体が、「ものの見え方」、つまり“アメリカ人の目に映るパリ”という視点で成り立っています。私は実際の現実を描こうとしたわけではなく、“自分にとっての現実”を映し出したんです。
  
 

― なぜ、映像のトーンはあのやわらかなベージュやグレーの色味を選んだのですか?
一緒に組んだのはデンマーク人の撮影監督で、彼の美的感覚はまさに北欧らしいものでした。特に色の選び方において、ああいった中立的で穏やかな色合いを好むんです。
あれは秋や冬を思わせるトーンであり、同時に、1日の始まりの重たさや鈍さも表現していて、物語にとても合っていると思いました。
― 物語の流れやテンポも、登場する若者たちの“内省的なまなざし”を映しているようですね。
はい。なぜなら、「見ること」も人生の楽しみのひとつだからです。いつも“行動しろ”、“何かを生み出せ”と求められる時代ですけど、立ち止まって夢を見る時間って、本当に大切だと思うんです。成功よりも、そっちの方がずっと大事かもしれません。
― 映画の中のように、ソックスなしでJ.M. WESTONを履くのが今っぽいのでしょうか?
夏なら、まぁアリかもしれませんね(笑)。でも、ロングソックスを合わせたほうが、もっとシックに見えると思いますよ!
 
  
  
  
  
  
  
  
  
  







